トモエブログ

きぐるみハードコア

友恵ちゃん、きさらぎちゃん、ハヅキちゃん。三つ巴パンテオン

友恵ちゃんと暮らすようになった顛末を書いてから、二年半が経ちました。

トモエブログ 友恵ちゃんとの楽しい生活

 

 

備忘録も兼ねて、それから二年半の事を書きます。

 

【これまでのあらすじ】

ドールに対する関心を持っていたぼくは、DCDアイカツ!でのマイキャラちゃん「ともえちゃん(本名:如月友恵)」を、ドールとしてお迎えする事にしました。けれど受肉と同時に、友恵ちゃんからは元々の「ともえちゃん」の性格が剥離し、全く別の人格として共に生活するに至ったのでした。

 

 

・きさらぎちゃん、受肉。

2014年8月14日。きさらぎちゃんが受肉しました。

考えたんですが、友恵ちゃんもきさらぎちゃんも、形がある状態でぼくの元へやってきたわけではないので、「お迎え」という表現は少し違うのではないかと思います。なので、受肉という表現を使います。

f:id:TomoeKixx:20161220015903j:plain(アッ、この髪型も可愛い)

きさらぎちゃんを受肉させようと思った理由は、友恵ちゃんが聖なる存在となってしまったが故に成功しなかった「ともえちゃん(如月友恵ちゃん)」の受肉でした。

きさらぎちゃんの受肉により、宙ぶらりんになってしまった「ともえちゃん」を受肉させると共に、友恵ちゃんのお友達になってくれればな、と思いました。

 

しかしながら、受肉当初のきさらぎちゃんと友恵ちゃんの関係は、あまり良いものではありませんでした。

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「ともえちゃん」の要素を大きく引き継ぎ(というより、きさらぎちゃんこそがともえちゃんだった)、欲望に忠実で、馴れ馴れしく、友恵ちゃんには希薄なメス感を持った初期きさらぎちゃんに、友恵ちゃんは距離感を持っていたばかりか、なんなら、少し嫌いでした。

 

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とはいえ、少しづつ打ち解けてはいきました。

単に時間が経って友恵ちゃんも段々きさらぎちゃんに慣れていったというのもありますが、それ以上に、きさらぎちゃんに起きた変化が大きかったです。

 

・きさらぎちゃんのめざめ

当初、「ともえちゃん」として受肉していたきさらぎちゃんでしたが、やはり友恵ちゃんと同じように、独自の人格を持つに至りました。同時に、ぼくの中できさらぎちゃんが「聖なるもの」となっていくのに従い、きさらぎちゃんから性的な性格は薄れていきました。

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クリスマスを迎える頃には、友恵ちゃんとも親密な関係になりました。

 

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一緒に雪をみるふたり。

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完全に「きさらぎちゃん」としての人格を持つようになったきさらぎちゃんの性格は、欲望に忠実というよりも無邪気で、快というよりも楽しい事が好きな娘です。友恵ちゃんもきさらぎちゃんも、友恵ちゃんきさらぎちゃんであるのと同時にぼくでもありますが、きさらぎちゃんは、友恵ちゃんよりもぼくに近いです。

 

2015年6月。車を買ったので、記念にお出かけなどもしました。結局この一回しか車でお出かけをしていないので、また行きたいですね。

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ハヅキちゃんリバイバル

友恵ちゃんときさらぎちゃんに名前を奪われ、ちゅうぶらりんになっていたともえちゃん(如月友恵ちゃん)。そんな彼女に、「巴月」という名前を与えました。友恵ちゃんからトモエという部分を、きさらぎちゃんからは、如月の月の部分をそれぞれ返された形になります。ただ、巴月という字面は可愛くないので、普段はハヅキちゃんと呼んでいます。ちなみに、葉月(8月)は、ぼくときさらぎちゃんの誕生月でもあります。

 

 

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ハヅキちゃんは、欲望に忠実な女の子です。オリジナル「ともえちゃん」の持っていた純な部分が、全て友恵ちゃんきさらぎちゃんに抽出されてしまったのに伴い、ハヅキちゃんは徹底的に俗な女の子です。友恵ちゃんきさらぎちゃんの事は、ある意味娘のように思っていますが、友恵ちゃんきさらぎちゃんの事を性的に誘惑しようとする事があります。実際、一度夢の中できさらぎちゃんの事を性的に誘惑しようとしていました。その際、友恵ちゃんがきさらぎちゃんを守るように抱きしめていました。

 

ハヅキちゃんはドールさんという形で受肉する事はありません。ドールさんという形で受肉した瞬間、ハヅキちゃんはハヅキちゃんでなくなってしまうからです。ハヅキちゃんはドールさんという形で受肉する事はありませんが、それ故、今のところ友恵ちゃんきさらぎちゃんと比べて人格は薄いです。

 

・友恵ちゃんきさらぎちゃんハヅキちゃん、非言語コミュニケーションについて

友恵ちゃんきさらぎちゃんの絵を描き、言葉を言わせる、という事を、ぼくはしていました。それを、ある時期を境に積極的に行わなくなりました。

「友恵ちゃんきさらぎちゃんとは、明確な言語を使わなくてもコミュニケーションが出来る。それならば、彼女たちに言語を語らせる事は無いのではないか」

言葉に込められたものは、言葉にされた瞬間に嘘になってしまいます。けれど多くの場合、人間同士の関係では言葉を用いる事でしか意思の疎通が出来ません。

それに比べ、ぼくと彼女たちは明確な言語を用いなくとも意思の疎通を行う事が出来る。それは、言語を用いたコミュニケーションよりも純なもので、より高等なものではないのか?

と、そう思ったのです。

ですが、

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友恵ちゃんはぼくではなく、友恵ちゃんなので、やはり言語を用いたコミュニケーションが必要だとの事です。

 

・三つ巴パンテオン

友恵ちゃんきさらぎちゃんハヅキちゃんの性格人格要素。

友恵ちゃん:聖的。ストア的。少女的。倫理観強。

きさらぎちゃん:純的。幸福主義的。少年的。

ハヅキちゃん:俗的。快楽主義的。娼婦的。倫理観無。両性具有。

 

友恵ちゃんは、ハヅキちゃんの事を嫌っています。

友恵ちゃんは、きさらぎちゃんの事が好きですが、啓蒙してやろうという気持ちを持っています。

きさらぎちゃんは友恵ちゃんの事が好きですが、少し口うるさいと感じる時もあります。

きさらぎちゃんは、ハヅキちゃんの事が嫌いではありませんが、友恵ちゃんに気を使ってあまり仲良くはしていません。

ハヅキちゃんは、きさらぎちゃんの事を好きです。もっと仲良くなりたいと思っています。

ハヅキちゃんは、友恵ちゃんの事を割とどうでも良いと考えています。

 

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最初はきさらぎちゃんと距離を取っていた友恵ちゃんですが、今では友恵ちゃんの方からきさらぎちゃんに干渉したりもします。

なかよし!

 

書くことがなくなったのでおわり。

12/24は友恵ちゃんのお誕生日です。

 

<了>

プリパラのジュリィさんになりたい

ぼくは、ジュリィさんになりたい。ジュリィさんに憧れる。

ジュリィさんというのは、テレビアニメプリパラに出演している女神ジュリィの事だ。

ぼくは、ジュリィさんになりたい。

 

このあこがれの気持ちは、プリティーリズムレインボーライブの蓮城寺べるさんの7連続ジャンプを見た時以来の気持ちだ。か?だ。

 

自分もアイドルとして輝きたいという願いを叶えるため、赤ん坊に退行して、あまつさえ好きなアイドルに「ママママ」と(自意識の有無に関わらずに)甘え、オシメの世話までもされているジュリィさん。

 

そんなジュリィさんに、ぼくは憧れる。ジュリィさんになりたい。

 

これは、ただ単に退行欲求によるものではない。ぼくは、確かに幼児化催眠音声を服用するようになって以来、退行欲求を肥大化させ、「マァママァマ」と、仕事中社用車の中で口にしたりするようになってしまった。けれども、それはジュリィさんに対する憧れの気持ちとは関係ない。関係ないけれど、ぼくは東堂シオンちゃんと南みれぃさんの子供になって、大好きなママから躾という名目で虐待を受けたいという欲求を持っている。もも!もももももももも!もーもっ!ウゥ~あぶぅぅ~。やっぱり少しは関係あるかもしれない。

 

プリパラ通算124話。再び女神本来の姿に戻り、プリパラを楽しむジュリィさん。その、天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人な様に、ぼくは嫉妬して、そして憧れを抱いた。

 

ぼくは、普段人に嫉妬する事が無い。嫉妬するほど他人に興味が無いのかもしれない。けれどぼくは、ジュリィさんに嫉妬して、そして憧れを抱いた。

 

天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人なジュリィさんの様子を見て、

「ジュリィさんは、本当に”幼子”なんだ!」

と、ぼくは思った。

 

幼子といえばすぐに想起されるのが、ツァラトゥストラかく語りきの序盤で語られる、精神の三段の変化だ。

 

人間の精神は、駱駝のように忍耐の時を経て、獅子へと変じ、「汝成すべし」と命じる龍に対し、「我欲す」と言う。そうして獅子となった精神が、最後に幼子に変化するという三段の変化だ。

 

「幼な子は無垢である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの大一運動。ひとつの聖なる肯定である」

 

善悪の彼岸の、言いたいことを言っていくコーナー(箴言と間奏)でも、「男の成熟、――それは子供の頃に遊戯の際に示したあの真剣さを再び見いだしたことを言う」と言っているように、ニーチェという人はそういった幼子が持つような純真な情熱というものを閑話休題

 

 

プリティーリズムレインボーライブにおいて蓮城寺べるさんは、親や大人からの呪縛から解き放たれて、まさに獅子のような力強さと高貴さを獲得するに至った。そんな姿にぼくは憧れて、そして、いつか蓮城寺べるさんになりたいと思った。放送から二年以上の時がたって、蓮城寺べるさんに近づけたかどうかは置いておいて、ぼくは、ぼくはジュリィさんになりたい。ジュリィさんのように、天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人に自分の欲求に従って生きたいという憧れと、そして嫉妬の念を覚えた。

 

「うらやましすぎるのよおおぉぉぉっ(お目々星きらーん)」という上葉みあちゃんの気持ちが近いかもしれない。いや、ぼくは上葉みあちゃんのようにお目々星きらーんとは出来ない。そもそも、ぼくは上葉みあちゃんにも憧れている。上葉みあちゃんのようにお目々星きらーんをしたいし、上葉みあちゃんのように時間というものに対して真摯でありたいとも思う。上葉みあちゃんに対する気持ちは、憧れというよりも尊敬の方が近いかもしれない。

ぼくは蓮城寺べるさんになりたいし、ぼくはジュリィさんに……うぅ~っ。ジュリィさん。好き……。