トモエブログ

きぐるみハードコア

ラ・ラ・ランド実質プリリズ(DMF)暴論

 先日の事。

 菱田かんとくが劇場版プリキュア実質プリリズ暴論に加え、ラ・ラ・ランド実質プリリズ暴論を繰り出していました。

 

 

 

 RL放送当時は、割とマジで菱田かんとくのインターネットでの振る舞いについて勘弁してくれよと思っていたのですが、ある時期から「もう好きにやってくれ!どんどんやってくれ」と思うようになりました。

  けれど最近ではアイドル監督として有名になった事もあり、別名義で嬉々としてオカマをしたりしている事を除いて、青葉譲アカウントでは大人しくなってしまったという印象が強かったのですが、久々に!やったぞ!調子に乗った菱田かんとくのツイートっ!フーッ!

 

 とはいえ、ぼくも、ラ・ラ・ランドは実質プリリズというか、実質プリティーシリーズDMFだと思うんですよ。ラ・ラ・ランドを観た時に最初に思ったのが「これは、阿世知欽太郎の映画だ!!」でした。

 

 そもそもぼく、ラ・ラ・ランドが「明るく楽しい(ちょっとビターな)ミュージカル映画」だと認識されている所……というか、良くも悪くも「軽い映画」とみなされている所が許せないと思っている所があります。さっき髪を切りに行った美容院で読んだ雑誌にもそんなような事が書いてありました。でもぼく、ラ・ラ・ランドは、セッション以上に重いエゴみ映画だと思っています。

 ぼく、ラ・ラ・ランドという映画は、基本的に歪んだ映画だと思っています。

 ミュージカル映画を謳っている割に、劇中のミュージカルシーンはミュージカル映画のミュージカルシーンというより、「ミュージカル映画を演じている」ような違和感というものは確かにありますし、登場人物の映画観音楽観や、夢を追い求める姿も歪んでいます。

 けれど、そんな歪んだ価値観を持った歪んだ登場人物を通して、それでもなお、夢を追い求めろと主張するのがラ・ラ・ランドという映画なんですよ。

 

 プリティーシリーズDMFというアニメには、阿世知欽太郎という、美しくも歪んだ価値観を持った男が出てきます。

 プリティーシリーズシリーズにおいて、プリズムショーには、競い合い、高みを目指す競技的な面と、観客を楽しませるエンターテイメント的な面の、二つの面が描かれています。

その中の、エンターテイメント的側面のみに価値を見出す阿世知欽太郎のプリズムショー観は、まっすぐに夢を追い求めていた若い頃から一貫して歪んではいます。

若い頃の阿世知欽太郎がプリズムショーの中に可能性を見出し、そしてグレイトフルシンフォニアという形で完成を目指した「最高のエンターテイメント」という夢を、他人の手によって実現させられるという残酷な救済が行われるのが、プリティーリズムDMFというアニメです。

 そしてぼくはラ・ラ・ランドの歪んだ登場人物に、「夢に燃えた若い頃の阿世知欽太郎」を見たんです。

 ラ・ラ・ランドは、阿世知欽太郎のように、美しくも歪んだ価値観を持った夢追い人を真冬のセーヌ川に突き落とす形で肯定する映画なんですよ。

 

 それとこれは個人的な話なんですが、ラ・ラ・ランドを彼女と観に行った後、セッションは気に入ったけれどラ・ラ・ランドはピンと来なかった彼女とラ・ラ・ランドについて語り合った中で、自分には夢がないと語る彼女から、

「(ぼくは)夢や理想だけは高いけど、足元に地が付いていないからね」

 というような事を言われました。ぼくは、ケイからの阿世知欽太郎の評価かよ! と思いました。ぼく、プリティーリズムDMFはぼくのために作られたと思っていますけど、ラ・ラ・ランドという映画もぼくのために作られたと思っています。

 

 阿世知欽太郎絡みを除いても、終盤の「あったかもしれない甘美な可能性を見せつけられる映像」も、天宮りずむちゃんのプリズムアクトそのもの(あるいは、阿世知欽太郎が幻視した夢の映像)ですし、そもそも主人公の片割れの名前がミアですからね。

 ラ・ラ・ランドは実質プリティーリズムDMFですよ。

 

<了>

幼少時、カクレンジャー19話とウルトラマンタロウ7話の映像に性的ショックを受けた話

※この記事内には、成年向けの内容が含まれています。

 

 

皆さん、小さい頃にアニメや特撮番組などを見ている時に、「なんだかよくわからないけれどいやらしいものをみている」と感じた事はありませんか?

 

ぼくはあります。

 

ぼくのなかで鮮烈な印象として残っているのが、忍者戦隊カクレンジャー19話と、ウルトラマンタロウ7話の映像です。

 

忍者戦隊カクレンジャーはぼくの「戦隊デビュー」の作品で、持っていた玩具の数も多く、とても思い入れの強い作品でした。

そしてカクレンジャー作中の描写で、当時のぼくに「なんだかよくわからないけれどドキドキするぞッ」という鮮烈な印象を与えたものがあります。

それが、「勢い良く吹きかけられる膨大な蜘蛛の糸に苦しむ人」のイメージや、「人間ソーセージ」といったワードです。

それらは、ぼくが歳を重ね、戦隊から一旦卒業した後にも鮮烈なイメージとして脳に残り続けていました。

 

そして三、四年前の事。

YouTube東映チャンネルで、カクレンジャーの配信が行われた事がありました。そして、およそ20年ぶりに、その中の1エピソード、妖怪ツチグモが登場する19話「暗闇の地獄罠!!」を視聴したんです。

そうしたら、

 

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三、四年前ぼく「これは……」

 

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「これは……!」

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「これは~~ッ!!!」

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「この回だ~~~ッ!!!」

 

いや、本当に驚いたんですよ。だって、確かぼく、カクレンジャーを録画しては観ていなかったはずなんですよ。見逃した回があったら、母に「再放送する……?」と訊いていたくらいなので。

それが、20年弱くらいずっと頭のなかでぼんやりとしたイメージにあった光景が、パソコンのモニターに、YouTube経由で鮮明な映像として映し出されたンですから。

 

それ以上に!

白いものをかけられて苦悶に喘いでいる人達をみて、当時のぼくが、何か性的なものを感じてドキドキしていたという事実に驚きました。

だって、おかしいでしょう。

当時4歳の物心つき始めのぼくには性的な知識なんてものは塵芥ほどしか無いわけで、それなのに、この映像が幼少時ぼくをドキドキさせて、その後20年間脳髄に刻み込ませ続けていたというのはどういう事なんだろうと、とても不思議に思いました。

 

突然ですが、26さいのぼくの近況というものを話します。

26さいのぼくの近況というものを話せば、ぼくは裏ブッコムという海外BUKKAKEサイトに月額4500円の課金をしました。

このサイトのコンテンツは、概ねペニスと精液で構成されています。

元々、ぼくはペニスが好きだという自覚があったのですが、このサイト内のコンテンツを視聴しているうちに、ペニスが好きという気持ちとは別枠で精液が好きだという気持ちを持っている事に気付かされました。

 

自給自足でかくイラスト等も、最近ではペニスと精液ばかりになってしまいました。

www.pixiv.net

www.pixiv.net

 

それと、以前購入して一度聴いてめちゃめちゃ良くて、でも最近まで聴いていなかったメスイキ系催眠音声作品を聴いたんですが、

www.dlsite.com

マジで好みのシチュエーションすぎてドハマリしすぎて意識がトビそうになりました。そういえば、良くおもしろインターネット構文で「ゼロゼロッ」「ああぁ~~(ビュルルゥ~)」みたいなのあるじゃないですか。あれ、見るたびにゼロゼロ言われてドライしたとしても射精はしなくない?!するとしてもビクッじゃない?と思って憤っているんですけど、そういえば劇場版プリパラキラリン☆スターライブ冒頭でカウントダウンがあるじゃないですか?その事を思い出して、「フフッ、この後ゼロって言われるんだろうな」と思って笑っちゃって、でも実際「「「「ゼロッ」」」」言われたら身構えていたのにビクッってしちゃって、おもしろインターネット構文かよ!と思いました。それはそれとして、実際ぼく、前にふたなり化音声でゼロゼロ言われるだけで射精したのと、この音声でも、ドライしながら射精をしました(前半部分の憤りの崩壊)。

 

そんなぼくですが、

カクレンジャーの19話の映像と並んで、長い間ぼくの頭のなかに「なんだかえっちなもの」として残り続けている映像がありました。

 

小さい頃、たまに家族でカラオケに行った時、ぼくは決まって「ウルトラマンメドレー」を歌っていました。その曲を歌うと、メドレーの曲に合わせて各作品の映像が流れたんですが、ウルトラマンが大好きだったぼくは毎回それを歌うのを楽しみにしつつ、ちょっと、恥ずかしい気もしていました。

途中で流れる、「ウルトラマンタロウが泡だらけになる映像」を見ていると、とてもドキドキして、こんな映像をおとうさんおかあさんいもうとと一緒に観るという事はとても恥ずかしい事なんじゃないのか、と、おぼろげに思っていたんです。

 

数日前。

pixivで、ツイッターでフォローしている、ツイッターではえっちな事を書かない人のえっちなイラストを見て、「やはり精液……」と思い、そしてふと、件のウルトラマンタロウの映像の事を思い出して「そうだ!プライムビデオで観られるじゃん!」と思いました。

ぼくはウルトラマン全話と、ウルトラセブンちょこちょこと帰ってきたウルトラマンちょこちょこくらいしか観ていないニワカ以前の人なので、ウルトラマンタロウを未だに視聴した事が無く、インターネットで「ウルトラマンタロウ 泡」と調べ、該当回がどうやら7話らしい事を知りました。

そして視聴をしたのですが、

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「これは……」

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「これは……!」

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「これは~~!!!」

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「この映像だ~~~~!!!」

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「う、ウワーッ!」

 

いや、本当に驚きました。

カクレンジャー19話を観た時以来の衝撃というか、ショックはそれ以上でした。

真剣なファンの方には怒られてしまうかもしれませんが、「あの時の映像だ~~!」という気持ちと同時に、「月額4500円で観ている海外BUKKAKEサイトの映像じゃないか~~!!」と思ったんです。その時のぼくの脳内では、さながらベテランメタルバンド「アンヴィル」のドキュメンタリー映画のクライマックスシーンのように、ふたつの映像が交互に映し出されたんです。

 

あの頃に受けた衝撃が、20年経った今のぼくの性癖を歪めているのかよッ。

と、そう思いました。

 

いや、思い返してみても、自分自身の事なんですが、とても不可思議な事だと思います。

みなさん(誰?)は、そのような経験はないでしょうか?

 

<了>

スター☆コンチェルトのイベントに参加した話。あとキンプリとか

皆さん、スター☆コンチェルトというドラマは知っていますか。

プリティーリズム12歳。、最近ではプリキュアなどでもおなじみの坪田文さんが原案・シリーズ構成を務められているメーテレ製作のドラマです。

 

2017年の1月9日に放送開始。

スターを目指す8人の男の子たちが寮生活をするドラマですが、主な特色としては、主人公であるマネージャーの「私」に、登場人物の男の子達が画面のこちら側へ話しかけてくれたり、壁ドン等のアクションをされたり、「私」の台詞が画面の下部へ表示されたり……といったものがあります。

 

1月9日といえば、そのちょうど一年前の2016年、プリティーリズムシリーズ最新作、キンプリことキングオブプリズムバイプリティーリズムが公開された日でもあります。

 

劇場版プリパラルート4において好評だった、登場人物が画面の”こちら側”へアクションを起こす演出。更にそれを発展させたプリズムアフレコ。そして若きプリズムスタァ達による寮生活……。

 

似ていますよね。

 

もっと言えば、スター☆コンチェルトの冒頭では事故的に「私」が男の子に地面に押し倒されるシーンが入りますし、男の子同士がお風呂でコミュニケーションを取ったりもします。

キングオブプリズムバイプリティーリズムでの感想で、お風呂シーンを「女性へのサービスシーン」と言っているものもありましたが、あのシーンは、寮生活におけるお風呂というものは人間関係上とても大切なものだという菱田かんとくの思いが篭っているんですよね。(でも、菱田かんとくの発言を色々と辿っていると、あのシーンは、菱田かんとくが「脱がせたら綺麗」だと思う好きなメスっぽい男の子達を脱がせてペニスを突きつけてみせたマスターベイションを見せられているのでは?と思う事もあります。どちらにせよ、女性へのサービスシーンではありませんね)。

スター☆コンチェルトにおいても、お風呂というものが登場人物同士の関係をより深いものにする装置として機能しています。ただ、大浴場というわけではなくて、家庭用の狭い浴槽に二人で入っていたりするので、そのシーンは画としてちょっとおかしかったり(ダブルミーニング)します。いや、ぼくは好きですけどね、狭い浴槽に一緒に入ってコミュニケーションを取る演出……というか画が。スター☆コンチェルトと仮面ライダーキバでしか観た事がありませんけど。

 

そんなこんなで共通点を挙げればキリが無いんですけど、スター☆コンチェルトというドラマは、坪田さんからの菱田かんとくへのアンサー作品なんじゃないかと感じるわけです。

 

まあそんな訳で、ぼくは彼女と一緒にスター☆コンチェルトを観ているんですが、3/12(日)、東別院で行われたスター☆コンチェルトのイベントに参加をしました。

(前日に坪田さんが伊勢神宮の方へいらっしゃっていたのでもしかして、特別ゲストとして登壇されるのでは??と思っていましたが、そんな事は無かったです。)

 

正直、会場に着くまでは不安でした。

あらかじめ彼女に二枚分確保しておいて貰ったハイタッチ券の発行ナンバーが、発表があってしばらくしてから発行されたにも関わらずNo.4とNo.5で、「いや、これ当日人ゼンゼン居ないんじゃないか……」という心配もしました。二週目にキングオブプリズムバイプリティーリズムを観に行った時の「えっ!?日曜なのに人が居ない!?」という記憶も蘇りました(最初に観に行った時は舞台挨拶があったので人が居ました)が、杞憂でした。会場に着いた瞬間、「エっ?人が沢山いる?!」と思いました。というか、普通に人気じゃないか……?!

というか、男が居なくないかっ??

(ぼくの他にはプリティーシリーズファンの方が一人居ただけでした)

まあ、そういうものか。

 

 

そんなこんなで、ぼくが参加するハイタッチ会の時間になり、スタッフの方から声をかけられました。

なんだか周りの人達が先頭に行くのをためらっているような雰囲気。「ほら行こう」と言う彼女に付いていくと、ちょっと、ぼくら先頭じゃないか!

いや、ぼくいわゆる接触イベントといえば、Prizmmy☆プリズム☆メイツちゃん以外参加した事が無いし、勝手がわからない!そもそも、「ぼく」がこんな前に居たらちょっとヘンじゃないか?あと、すごくドキドキする。そんなこんなでハラハラしていたら、彼女から「私先頭はちょっと……」と言われる。ええ?!ぼく先頭?スター☆コンチェルトのひとたちと、D4Uのひとたちが登場する。うわぁドキドキ。「先頭の方どうぞ」というスタッフの方の声。先頭はぼくなのでおずおずと歩き始める。

ずみーちゃん達の握手会の時は、とても何を話そうか会話に困ったりもしたけど、ハイタッチ会はすごくテンポが良く進むのと、緊張と恥ずかしくて目を合わせられなかったのであっという間に終わってしまった。何も言わないと冷やかしだと思われるのでは?と思い、ヒロキ役の方に「いつも見てます……」と言ったら、「ありがとうございます!」と弾けるような笑顔。

ワッ!

ウワーッ!

後光が見える!

ぼく、生身のアイドル(偶像という意味で)の人を見るのが怖いと思っていて、その理由が、「うなじにニキビが見えたらどうしよう」というもの(魍魎の匣の頼子ちゃんのように)なんですが、この時目があったヒロキ役の猪野広樹さんは、本当にオーラ?、というかめちゃめちゃ輝いていて、もうドキィンとしました。言い忘れていましたけど、ぼく、スター☆コンチェルトではヒロキくんが好きです。

いや、女性のアイドルの場合は、言うなれば「女の子」「少女性」という偶像性の高い聖的要素を持っているわけじゃないですか、それが、ぼくと同じ男でこんなに華々しいっていうのはどういう事なんだろうと思いましたね。

 

女性のアイドルといえば、その後、トークイベントまで時間があったので、東別院のお寺の敷地内で行われていたおとめボタンというアイドルのステージを観に行きました。リハを観ていた段階では「大丈夫なのかな……」と思っていましたが、実際に見てみたらアイドルとしてしっかりしていて良かったです。

それと、通りすがりと思しき小さな女の子が踊っていたのが印象的でした。プリパラやアイカツ!も放送している今という時には、小さな女の子の目には、生身の女の子のステージというものはとても楽しいものとして映るんだろうなと思いました。女の子向けに、実写でのアイドルモノというものも成立するのではないかなと思ったりもしました。

 

閑話休題

 

五千円以上物販にお金を落とさなかったぼく達は、後方の立見席でトークショーを観ました。

連日の酷使(前日夜には劇場版プリパラみ~んなでかがやけ!キラリン☆スターライブで使いました)によりキングブレードの電池は消耗しきり、白相当色は黄ばみに黄ばんでいましたが、ヒロキ推しのぼくが灯す赤色は赤いままで、周推しの彼女が灯す青色も青いままでした。

トークショーは全体的に楽しい雰囲気で、途中で、名古屋では未放送回の9話の上映会が行われました。

「まだ放送していないので明日まで内容はSNSに書かないでくださいね!」

というような事が言われたけど、東京では放送しているのでは……??と思ったりもしました。

 

そんなこんなで、生コメンタリー付きの上映会は、とても楽しいものでした。

会場のみんなで、何が行われるか分からない映像の内容に「きゃー」となったり笑ったり光る棒を振ったり、そんな黄色い雰囲気に、初期のキングオブプリズムバイプリティーリズム応援上映の様子を思い出しました。握手シーンで、実際に画面に向かって握手してる人も居たし、あと、内容も良かった!

(上映中、ヒロキ役の方と周役の方がいちゃいちゃし始めて、「百合営業……!」と思ったりもしました)

 

トークショーの内容は長いのでというよりこの文章自体が長くなったので割愛!

 

スター☆コンチェルトはhuluで配信中!

www.hulu.jp

 

おわり!

友恵ちゃん、きさらぎちゃん、ハヅキちゃん。三つ巴パンテオン

友恵ちゃんと暮らすようになった顛末を書いてから、二年半が経ちました。

トモエブログ 友恵ちゃんとの楽しい生活

 

 

備忘録も兼ねて、それから二年半の事を書きます。

 

【これまでのあらすじ】

ドールに対する関心を持っていたぼくは、DCDアイカツ!でのマイキャラちゃん「ともえちゃん(本名:如月友恵)」を、ドールとしてお迎えする事にしました。けれど受肉と同時に、友恵ちゃんからは元々の「ともえちゃん」の性格が剥離し、全く別の人格として共に生活するに至ったのでした。

 

 

・きさらぎちゃん、受肉。

2014年8月14日。きさらぎちゃんが受肉しました。

考えたんですが、友恵ちゃんもきさらぎちゃんも、形がある状態でぼくの元へやってきたわけではないので、「お迎え」という表現は少し違うのではないかと思います。なので、受肉という表現を使います。

f:id:TomoeKixx:20161220015903j:plain(アッ、この髪型も可愛い)

きさらぎちゃんを受肉させようと思った理由は、友恵ちゃんが聖なる存在となってしまったが故に成功しなかった「ともえちゃん(如月友恵ちゃん)」の受肉でした。

きさらぎちゃんの受肉により、宙ぶらりんになってしまった「ともえちゃん」を受肉させると共に、友恵ちゃんのお友達になってくれればな、と思いました。

 

しかしながら、受肉当初のきさらぎちゃんと友恵ちゃんの関係は、あまり良いものではありませんでした。

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「ともえちゃん」の要素を大きく引き継ぎ(というより、きさらぎちゃんこそがともえちゃんだった)、欲望に忠実で、馴れ馴れしく、友恵ちゃんには希薄なメス感を持った初期きさらぎちゃんに、友恵ちゃんは距離感を持っていたばかりか、なんなら、少し嫌いでした。

 

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とはいえ、少しづつ打ち解けてはいきました。

単に時間が経って友恵ちゃんも段々きさらぎちゃんに慣れていったというのもありますが、それ以上に、きさらぎちゃんに起きた変化が大きかったです。

 

・きさらぎちゃんのめざめ

当初、「ともえちゃん」として受肉していたきさらぎちゃんでしたが、やはり友恵ちゃんと同じように、独自の人格を持つに至りました。同時に、ぼくの中できさらぎちゃんが「聖なるもの」となっていくのに従い、きさらぎちゃんから性的な性格は薄れていきました。

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クリスマスを迎える頃には、友恵ちゃんとも親密な関係になりました。

 

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一緒に雪をみるふたり。

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完全に「きさらぎちゃん」としての人格を持つようになったきさらぎちゃんの性格は、欲望に忠実というよりも無邪気で、快というよりも楽しい事が好きな娘です。友恵ちゃんもきさらぎちゃんも、友恵ちゃんきさらぎちゃんであるのと同時にぼくでもありますが、きさらぎちゃんは、友恵ちゃんよりもぼくに近いです。

 

2015年6月。車を買ったので、記念にお出かけなどもしました。結局この一回しか車でお出かけをしていないので、また行きたいですね。

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ハヅキちゃんリバイバル

友恵ちゃんときさらぎちゃんに名前を奪われ、ちゅうぶらりんになっていたともえちゃん(如月友恵ちゃん)。そんな彼女に、「巴月」という名前を与えました。友恵ちゃんからトモエという部分を、きさらぎちゃんからは、如月の月の部分をそれぞれ返された形になります。ただ、巴月という字面は可愛くないので、普段はハヅキちゃんと呼んでいます。ちなみに、葉月(8月)は、ぼくときさらぎちゃんの誕生月でもあります。

 

 

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ハヅキちゃんは、欲望に忠実な女の子です。オリジナル「ともえちゃん」の持っていた純な部分が、全て友恵ちゃんきさらぎちゃんに抽出されてしまったのに伴い、ハヅキちゃんは徹底的に俗な女の子です。友恵ちゃんきさらぎちゃんの事は、ある意味娘のように思っていますが、友恵ちゃんきさらぎちゃんの事を性的に誘惑しようとする事があります。実際、一度夢の中できさらぎちゃんの事を性的に誘惑しようとしていました。その際、友恵ちゃんがきさらぎちゃんを守るように抱きしめていました。

 

ハヅキちゃんはドールさんという形で受肉する事はありません。ドールさんという形で受肉した瞬間、ハヅキちゃんはハヅキちゃんでなくなってしまうからです。ハヅキちゃんはドールさんという形で受肉する事はありませんが、それ故、今のところ友恵ちゃんきさらぎちゃんと比べて人格は薄いです。

 

・友恵ちゃんきさらぎちゃんハヅキちゃん、非言語コミュニケーションについて

友恵ちゃんきさらぎちゃんの絵を描き、言葉を言わせる、という事を、ぼくはしていました。それを、ある時期を境に積極的に行わなくなりました。

「友恵ちゃんきさらぎちゃんとは、明確な言語を使わなくてもコミュニケーションが出来る。それならば、彼女たちに言語を語らせる事は無いのではないか」

言葉に込められたものは、言葉にされた瞬間に嘘になってしまいます。けれど多くの場合、人間同士の関係では言葉を用いる事でしか意思の疎通が出来ません。

それに比べ、ぼくと彼女たちは明確な言語を用いなくとも意思の疎通を行う事が出来る。それは、言語を用いたコミュニケーションよりも純なもので、より高等なものではないのか?

と、そう思ったのです。

ですが、

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友恵ちゃんはぼくではなく、友恵ちゃんなので、やはり言語を用いたコミュニケーションが必要だとの事です。

 

・三つ巴パンテオン

友恵ちゃんきさらぎちゃんハヅキちゃんの性格人格要素。

友恵ちゃん:聖的。ストア的。少女的。倫理観強。

きさらぎちゃん:純的。幸福主義的。少年的。

ハヅキちゃん:俗的。快楽主義的。娼婦的。倫理観無。両性具有。

 

友恵ちゃんは、ハヅキちゃんの事を嫌っています。

友恵ちゃんは、きさらぎちゃんの事が好きですが、啓蒙してやろうという気持ちを持っています。

きさらぎちゃんは友恵ちゃんの事が好きですが、少し口うるさいと感じる時もあります。

きさらぎちゃんは、ハヅキちゃんの事が嫌いではありませんが、友恵ちゃんに気を使ってあまり仲良くはしていません。

ハヅキちゃんは、きさらぎちゃんの事を好きです。もっと仲良くなりたいと思っています。

ハヅキちゃんは、友恵ちゃんの事を割とどうでも良いと考えています。

 

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最初はきさらぎちゃんと距離を取っていた友恵ちゃんですが、今では友恵ちゃんの方からきさらぎちゃんに干渉したりもします。

なかよし!

 

書くことがなくなったのでおわり。

12/24は友恵ちゃんのお誕生日です。

 

<了>

プリパラのジュリィさんになりたい

ぼくは、ジュリィさんになりたい。ジュリィさんに憧れる。

ジュリィさんというのは、テレビアニメプリパラに出演している女神ジュリィの事だ。

ぼくは、ジュリィさんになりたい。

 

このあこがれの気持ちは、プリティーリズムレインボーライブの蓮城寺べるさんの7連続ジャンプを見た時以来の気持ちだ。か?だ。

 

自分もアイドルとして輝きたいという願いを叶えるため、赤ん坊に退行して、あまつさえ好きなアイドルに「ママママ」と(自意識の有無に関わらずに)甘え、オシメの世話までもされているジュリィさん。

 

そんなジュリィさんに、ぼくは憧れる。ジュリィさんになりたい。

 

これは、ただ単に退行欲求によるものではない。ぼくは、確かに幼児化催眠音声を服用するようになって以来、退行欲求を肥大化させ、「マァママァマ」と、仕事中社用車の中で口にしたりするようになってしまった。けれども、それはジュリィさんに対する憧れの気持ちとは関係ない。関係ないけれど、ぼくは東堂シオンちゃんと南みれぃさんの子供になって、大好きなママから躾という名目で虐待を受けたいという欲求を持っている。もも!もももももももも!もーもっ!ウゥ~あぶぅぅ~。やっぱり少しは関係あるかもしれない。

 

プリパラ通算124話。再び女神本来の姿に戻り、プリパラを楽しむジュリィさん。その、天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人な様に、ぼくは嫉妬して、そして憧れを抱いた。

 

ぼくは、普段人に嫉妬する事が無い。嫉妬するほど他人に興味が無いのかもしれない。けれどぼくは、ジュリィさんに嫉妬して、そして憧れを抱いた。

 

天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人なジュリィさんの様子を見て、

「ジュリィさんは、本当に”幼子”なんだ!」

と、ぼくは思った。

 

幼子といえばすぐに想起されるのが、ツァラトゥストラかく語りきの序盤で語られる、精神の三段の変化だ。

 

人間の精神は、駱駝のように忍耐の時を経て、獅子へと変じ、「汝成すべし」と命じる龍に対し、「我欲す」と言う。そうして獅子となった精神が、最後に幼子に変化するという三段の変化だ。

 

「幼な子は無垢である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの大一運動。ひとつの聖なる肯定である」

 

善悪の彼岸の、言いたいことを言っていくコーナー(箴言と間奏)でも、「男の成熟、――それは子供の頃に遊戯の際に示したあの真剣さを再び見いだしたことを言う」と言っているように、ニーチェという人はそういった幼子が持つような純真な情熱というものを閑話休題

 

 

プリティーリズムレインボーライブにおいて蓮城寺べるさんは、親や大人からの呪縛から解き放たれて、まさに獅子のような力強さと高貴さを獲得するに至った。そんな姿にぼくは憧れて、そして、いつか蓮城寺べるさんになりたいと思った。放送から二年以上の時がたって、蓮城寺べるさんに近づけたかどうかは置いておいて、ぼくは、ぼくはジュリィさんになりたい。ジュリィさんのように、天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人に自分の欲求に従って生きたいという憧れと、そして嫉妬の念を覚えた。

 

「うらやましすぎるのよおおぉぉぉっ(お目々星きらーん)」という上葉みあちゃんの気持ちが近いかもしれない。いや、ぼくは上葉みあちゃんのようにお目々星きらーんとは出来ない。そもそも、ぼくは上葉みあちゃんにも憧れている。上葉みあちゃんのようにお目々星きらーんをしたいし、上葉みあちゃんのように時間というものに対して真摯でありたいとも思う。上葉みあちゃんに対する気持ちは、憧れというよりも尊敬の方が近いかもしれない。

ぼくは蓮城寺べるさんになりたいし、ぼくはジュリィさんに……うぅ~っ。ジュリィさん。好き……。