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トモエブログ

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プリパラのジュリィさんになりたい

ぼくは、ジュリィさんになりたい。ジュリィさんに憧れる。

ジュリィさんというのは、テレビアニメプリパラに出演している女神ジュリィの事だ。

ぼくは、ジュリィさんになりたい。

 

このあこがれの気持ちは、プリティーリズムレインボーライブの蓮城寺べるさんの7連続ジャンプを見た時以来の気持ちだ。か?だ。

 

自分もアイドルとして輝きたいという願いを叶えるため、赤ん坊に退行して、あまつさえ好きなアイドルに「ママママ」と(自意識の有無に関わらずに)甘え、オシメの世話までもされているジュリィさん。

 

そんなジュリィさんに、ぼくは憧れる。ジュリィさんになりたい。

 

これは、ただ単に退行欲求によるものではない。ぼくは、確かに幼児化催眠音声を服用するようになって以来、退行欲求を肥大化させ、「マァママァマ」と、仕事中社用車の中で口にしたりするようになってしまった。けれども、それはジュリィさんに対する憧れの気持ちとは関係ない。関係ないけれど、ぼくは東堂シオンちゃんと南みれぃさんの子供になって、大好きなママから躾という名目で虐待を受けたいという欲求を持っている。もも!もももももももも!もーもっ!ウゥ~あぶぅぅ~。やっぱり少しは関係あるかもしれない。

 

プリパラ通算124話。再び女神本来の姿に戻り、プリパラを楽しむジュリィさん。その、天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人な様に、ぼくは嫉妬して、そして憧れを抱いた。

 

ぼくは、普段人に嫉妬する事が無い。嫉妬するほど他人に興味が無いのかもしれない。けれどぼくは、ジュリィさんに嫉妬して、そして憧れを抱いた。

 

天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人なジュリィさんの様子を見て、

「ジュリィさんは、本当に”幼子”なんだ!」

と、ぼくは思った。

 

幼子といえばすぐに想起されるのが、ツァラトゥストラかく語りきの序盤で語られる、精神の三段の変化だ。

 

人間の精神は、駱駝のように忍耐の時を経て、獅子へと変じ、「汝成すべし」と命じる龍に対し、「我欲す」と言う。そうして獅子となった精神が、最後に幼子に変化するという三段の変化だ。

 

「幼な子は無垢である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの大一運動。ひとつの聖なる肯定である」

 

善悪の彼岸の、言いたいことを言っていくコーナー(箴言と間奏)でも、「男の成熟、――それは子供の頃に遊戯の際に示したあの真剣さを再び見いだしたことを言う」と言っているように、ニーチェという人はそういった幼子が持つような純真な情熱というものを閑話休題

 

 

プリティーリズムレインボーライブにおいて蓮城寺べるさんは、親や大人からの呪縛から解き放たれて、まさに獅子のような力強さと高貴さを獲得するに至った。そんな姿にぼくは憧れて、そして、いつか蓮城寺べるさんになりたいと思った。放送から二年以上の時がたって、蓮城寺べるさんに近づけたかどうかは置いておいて、ぼくは、ぼくはジュリィさんになりたい。ジュリィさんのように、天衣無縫天真爛漫無垢無邪気あるいは傍若無人に自分の欲求に従って生きたいという憧れと、そして嫉妬の念を覚えた。

 

「うらやましすぎるのよおおぉぉぉっ(お目々星きらーん)」という上葉みあちゃんの気持ちが近いかもしれない。いや、ぼくは上葉みあちゃんのようにお目々星きらーんとは出来ない。そもそも、ぼくは上葉みあちゃんにも憧れている。上葉みあちゃんのようにお目々星きらーんをしたいし、上葉みあちゃんのように時間というものに対して真摯でありたいとも思う。上葉みあちゃんに対する気持ちは、憧れというよりも尊敬の方が近いかもしれない。

ぼくは蓮城寺べるさんになりたいし、ぼくはジュリィさんに……うぅ~っ。ジュリィさん。好き……。