トモエブログ

旧トモエブログ→http://kixxtxmxe.blog.fc2.com/

「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」を読んでGのレコンギスタを思った

富野かんとくの講演に行った時に話が出た中で読んだサピエンス全史を読んだ時、「これは、実質Gレコ副読本……」と思ったけれど、この本は、Gレコへの反駁書のようだと思った(Gレコの方が後から作られたんだけど)。

 

富野かんとくは、先鋭化した専門家・技術者と、過度な技術革新に対して不信感を持っている人で、バイストン・ウェルからリギルドセンチュリーまで、技術が数百年単位で固定化した世界が急速に変化していく時に起こる騒乱を舞台にした物語も多い。富野かんとくの講演時や、テレビ出演時には、毎回と言って良いほど「技術者」サゲが行われる(その割に、∀のホレス氏やGレコでのハッパさんのような技術者を魅力的に描いているのが面白い所だと思う)。

Gレコと、富野かんとくの非技術進歩論で言えばずっと気になっている事があって、Gレコ放送前のこの↓インタビュー。

-----------------

大人が「G-レコ」を見る必要はない! 「ガンダム Gのレコンギスタ富野由悠季に直撃取材 - アキバ総研

https://akiba-souken.com/article/21122/

----------------

この中で、ウィリアム・H・マクニールの「戦争の世界史 」に触れて、「作者の目線が戦争史家ではなく、経済史家に近いんです。その作者から見ると、この千年のほうが人類史全体から見れば異常な変革期であった。だから千年以前の歴史に戻すべきである、と書いています。」とかんとくはコメントしているけれど、このインタビューを読んで以来、ちょっとずっともやもやしている。

なぜなら、戦争の世界史の結論部に、「この千年のほうが人類史全体から見れば異常な変革期であった」とは書いてあっても、「だから千年以前の歴史に戻すべきである」なんて書いていないから(そもそも「戦争の世界史」の執筆時期は1980年代初頭で、その後に起こったインターネットや携帯端末機器の爆発的普及などといった事を考慮すると、本書の結論部で「一〇〇〇年間も続いた動乱の時代は終わりを告げた」と記述がある事に意味があるとは思えない)。

富野かんとくは、たまに読んだ本の内容やなんかをおかしな引用の仕方をする事があるけれど、この時のインタビューもその一つだと思う。 

直近で言えば、ひるね姫における夢の世界の描写で、サピエンス全史の「人類を人類たらしめているのは虚構を信じる能力」という部分を引用していたのも少しおかしいと思う。サピエンス全史の中で語られる「虚構」というものは、夢や宗教や神といったものに限られず、もっと大きな、金融資本だとか、起業だとか、国家だとかいった、もっと大きなくくりのものだから。

 

富野かんとくの話ばかりになってしまった。

 

本書における著者の主張は、人類全体における専門知識の積み重ねや分業の推進と、それに伴う技術革新と交易の推進がなされる限り、人類は繁栄し続けるはずだ、というもの。人類が発生してから今日まで歩んできた道筋や、近代以降に数多くなされた、悲観的かつかつ的外れな未来予測の言論が、「楽観的な合理主義者」の立場から論じられている。

富野かんとくの作品(特に宇宙世紀作品)内では、人口増加による地球と人類全体の圧迫が多く語られるテーマではあるけれど、本書内において、人口の増加は経済的な収穫逓減に繋がるものではなく、むしろ収穫逓増に繋がるものだと論じられている。そもそも、世界人口は近いうちにピークを迎え、その後は減少へ向かっていくとも語られている。

また、「発明を止めて、新しいアイデアを使わないでいるのは、人道にもとる危険な所業なのだ。」という文面にも、少しにやりとしてしまった。

 

基本的には人類は今後も繁栄を続けるだろうとの論を進める著者ではあるれども、勿論人類が無条件に繁栄し続けると語っているわけではない。今後も、人類全体の中でアイディアを交尾させ続け、技術革新を進め、変化し続ける限りという前提があればこそ、というのが本書の肝。

 

富野かんとくは数十万年単位で人類の事を考えているので、未来というものがせいぜい数世紀単位で語られる本書とは、視点が違うと言ってしまえばそれで終わりだけれど、今まで個人的にGレコ副読本と思って読んだ本の中では一番興味深かった。

 

結局富野かんとくの話ばかりになってしまった。

繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史

繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史