ご覧の通り(?)、ぼくは着ぐるみを着る事を趣味としていて、最近は、VRChatをプレイし始めました。
両方共、肉体的な自分自身の姿形を覆い隠す形で別の姿に成る行為であり、方向性としては似たような行為と言えます。
しかしながら、いざ自分がVRChatを始めてみると、この二つの行為をしている際の自分自身の身体性の感じ方には大きな違いがあるように感じられたので、その事について書いていきたいと思います。
一応、「着ぐるみ」と「VRアバター」を自分が「着る」際の環境というか、方法を書いていきます。
一言に「着ぐるみ」と言っても、ぼくが行っているスタイルは所謂「美少女着ぐるみ」というもので、「肌タイ」と呼ばれる全身タイツを身にまとった上で衣装を着て、マスクを被るスタイルです。
VRアバターは、HTC VIVEと、VIVEトラッカーを3個使用し、頭・両手・腰・両脚の合計6点をトラッキングする形で操作する環境で纏っています。
所謂フルトラッキング状態と呼ばれる状態で、この状態では、アバターが自分自身の身体の動きと概ねリンクされる状態になります。
6点トラッキング! pic.twitter.com/a0JCnJ2Pg0
— 巴/TOMOE KIG (@Tomoe_Kixx) 2023年4月16日
以前のブログにも書いたのですが、ぼくは、VRChatを始める前から、SNSで見かける「着ぐるみを着た人」と、「VRアバターを着た人」の写真/画像に対して、正反対の印象を持っていました。
簡単に言うなら、着ぐるみを着た人は「着ぐるみさん」だと認識するのに対して、VRアバターを着た人の事は、「人」だと認識する、という事です。
ぼくは元々ドール/人形が好きという事もあり、「人の形をしている人ではないもの」が好きなのですが、ぼくが「着ぐるみさん」を好きなのも、同様の理由です。
「人間」が「着ぐるみさん(人でないもの)」に成るのが、好きなんですね。
(それに加えれば、ぼくは、「人間」が、何か人でないものに変化してしまう事全般が、性的な意味も含めて好きです。状態変化など。関係ないのですが、デジモンゴーストゲームは日曜朝番組というレギュレーション下で最高の状態変化(&リョナ)フェチアニメでした)
それに対して、VRアバターを着た人の事は「人じゃん」と認識してしまうので、言ってみれば、それが長い間ぼくがVRSNSに対して食指が動かなかった理由であり、現在VRChatをプレイしている理由の一つでもあります(ここ最近のぼくの行動指針は、「人」とコミュニケーションをする事なので)
そして、以前から持っていた、着ぐるみとVRアバターに対する客観的な認識が、それぞれを纏った際の自分自身の身体感覚とも当てはまるな、という事に気づいたのがこの記事の内容です。
その事に気づいたのは、上記の通り、VRChatに潜るようになって、上記の6点トラッキング状態でプレイするようになったのがきっかけです。
(ぼくはVRChatにログインする事を潜ると表現しています。ぼくはVRSNSの事を、「メタ」な場所ではなく、此岸的な、インターネットの地下だと認識しているので)、
・着ぐるみは「自分の身体じゃない」、VRアバターは「自分の身体」という感覚。
VRChatに潜って6点トラッキング状態で、特に音楽系のイベントなどに参加していると、VRのアバターが自分自身の身体と一体になってような感覚になる事が多く、また、そのアバターと自分の身体性が合一する感覚というものがとても楽しく感じられます。
(いわばまさに、「実質的な現実(ヴァーチャルリアリティ)」というやつですね)
以前の記事にも書いた通り、そういった身体性を伴う楽しさというものが、インターネットには無いVRの面白さだな、とも感じています。
それに対し、「着ぐるみ活動」も、同じように身体全体を使った行為です。
ゼンタイを纏い、マスクを被り、身体全体を使って、可愛い動きだったりをして、自分自身を表現します。
そして、自分自身がVR上で上記のような身体感覚の楽しさを自覚したのと同時に、「着ぐるみは、「自分の身体じゃない」から楽しいんだな」という事も、自覚する事になりました。
美少女着ぐるみというスタイルは、身体に対する拘束度が強い行為です。
ゼンタイで身体が抑えつけられ、マスクをしている時には、呼吸すらも制限されている状態です。
そういった感覚によって、自身の本来の身体性が覆い隠される、という感覚もあるのかもしれません。
兎にも角にも、着ぐるみを着てぼくが楽しいのは、鏡に写ったり、写真を撮ったり、動画を撮ったりした自分自身の姿に対して、「誰これ?」と思ったり、あるいは、着ぐるみを着ている時に、自分自身の身体が、何か別の、「着ぐるみとしての自分」に乗っ取られているような感覚が、楽しいのです。
ぼく(Tomoe_Kixx)には、「着ぐるみを着ている時だけは人類に対する憎悪を忘れ、人類に対して優しくなることが出来る」という設定があるのですが、これは、単なる設定ではなく、実際に、そういった気分になる、という話です。
VRChatでVRアバターを纏っている時、自身の両手を見て、「自分自身の身体だ」と確認して、アバターとの身体感覚を確認する、という事をしばしば行いますが、最近は、着ぐるみを着ている時にも同じ事をするようになりました。自分の両手を見て、「自分の身体じゃない……」という確認をする行為です。
そんな感覚であるので、VRChatを始めた当初はボイスチェンジャーを使用しようと思っていたけれど、まあ使わなくて良いか、と思ったり、反面、TOMOE KIGとして何か喋ったりする時には、ボイスチェンジャー(というより、機材として使用しているVT4)を使っていこうかな、と思ったりしています。
・女装時の身体性について
ついでですが、自分自身の女装時の身体性について。
女装時の身体感覚としては、正直、上記二つのパターンほど、はっきりとした感覚が無いというのが正直な所です。
どうしても、全身がすげ変わる、というよりも、首から上を、徐々に徐々にメイクで本来の自分とは別のものへと変えていく、という部分が、上記二つとは大きく違うから、でしょうか。
昔は、「お前は誰だ……?」となる感覚にこだわっていたような気もしますが、最近は、良い意味で自分の姿だ、と思えるようになってきたカンジがしています。
この件については、考えがまとまっていないので、また今度考えてみる事にしてみます。
(おわり)