トモエブログ

きぐるみハードコア

【普通の日記:6/17】写真を撮られる。明治村に行く(初)

6/17(土)。

の、数日前。

江衛子さんから、写真を撮りに行かないかと言われました。

 

少し前にデジタル一眼レフカメラを購入したので、それで何かを撮影に行こうか、という事かと思いましたが、そういう事ではなく、ぼく達が被写体となる形で写真を撮りに行かないか、との事でした。

ぼくも未だによく分かっていないのですが、何らかのキャンペーンで、無料でスタジオでの写真撮影をして貰える、というものがあるとの事で、それに参加しないか、との事。

「無料」という部分に怪しさを感じつつも、それに参加する事にして、それと、どういう話の流れだったかは覚えていませんが、その後で犬山の明治村に行く事にしました。

 

・写真を撮られる

そんなわけで当日。

普段は装着をしない結婚指輪を、妹の結婚式ぶりに装着して家を出ました(ぼくは結婚指輪というものに対して、「発生論の誤謬」の例として挙げられる結婚指輪のハナシのような考えを持っているので&単純につけていて邪魔なので、普段は結婚指輪をしたくないと思っています)。

最寄りの駅に着いてから、徒歩で10分ほど。

江衛子さんと並んで歩いて目的地に、というわけではなく、この日の江衛子さんは歩くペースが異様に早かったので、ぼくは後からぽちぽち歩いて、たまに駆け足になったりしながら目的地へと向かいました。

目的地のスタジオへ到着すると、カメラマンさん一人が出迎え。

カメラマンさんはとても感じの良い人で、どのような撮影意図か、どのような雰囲気で撮影がしたいか、という事を訊かれました。

「結婚、ほぼ五周年記念で」

と江衛子さんは言いましたが、入籍したのが18年の11月で、式を挙げたのが19年の3月なので、「ほぼ」という前置きを置いたとしたも、五周年記念なのか? というカンジではあります。

また、撮影の雰囲気については、

「イチャイチャした感じは無い感じで」

という要望で、撮影が始まりました。

なんやかんやで30分ほどで撮影が終わり、その後、特に勧誘や何かがあったわけでもなく(インスタグラム等で紹介してくれるとありがたい程度の話はありましたが)、スタジオを後にしました。

撮影した写真のうち、本当は10枚までが貰えるという話でしたが、その日の夜には、36枚の写真が届きました。

写真は、流石にプロの人が撮影しているだけあって、よく撮れていました。

「イチャイチャした感じは無し」

という要望を事前にしておいた結果、「男女ペアの音楽グループのジャケ写」のような写り具合の写真などが出来上がっていて面白かったです。

こんなサービスを他人から受けて、金銭を支払っていないというのは、気持ちが悪い……!!!と思い、本来であればSNS等で紹介をするというのがスジなのでしょうが、ぼくは、そういった形式での宣伝行為を嫌っているので、それは、江衛子さんのSNSにお任せする事にしました。

 

明治村に行く(初)

その後、明治村に行きました。

32年間、名古屋で生活をしてきて、初めての明治村です。

 

犬山駅自体、(幼少時に祖父母と来た記憶はありますが)明確な自意識を獲得してからは初でした。

 

ここからは、撮った写真がメインです。

 

気になった看板。

 

岐阜バスのキャラクター「あゆか」ちゃん。

 

明治村

 

ヨハネ教会堂

 

乃木希典

 


西郷從道邸

 

X線照射器「ダイアナ号」

 

汽車

 

機械

 

これがデンキブラン……!(初)

 

半田東湯

 

聖ザビエル天主堂

 

金澤監獄

 

(他、江衛子さんが写っていたり、動画で撮っていたものが多いので、これくらいで終)

 

到着したのが15時頃で、二時間ほどしか回れなかったので、また来たいと思います。

 

(おわり)

現代インターネットは「暗黒森林」か?

※この記事は、三体シリーズを読んでいない人は読まない、という前提で書きます。

 

・インターネット暗黒森林理論?

 

劉慈欣氏によるSF小説「三体」作中における「暗黒森林理論(黑暗森林法则)」の概念を知った方で、日夜様々な争いが繰り広げられるインターネット空間(特にTwitter)を暗黒森林状態のように感じられた方は多い事かと思われます。

Google検索で「暗黒森林」と検索をしてみれば、海外の「インターネット暗黒森林理論」を紹介した佐々木俊尚氏のnoteが上位に出てきますし、Twitter検索をかけてみても、同じような連想を抱いている方は多く見られます。

確かに、不用意なアウトプットをして、それが少しばかり拡散でもされれば、すぐさまに観測外からの攻撃に晒されがちな現代SNS主体インターネット空間の事を、「暗黒森林」に例えるのは、ある程度妥当のように見えます。また、公のインターネット空間から離れてプライベートなインターネット空間に潜む事を、作中の低光速ブラックホール空間に潜む事に例える事も妥当な例えのように感じますし、ぼく自身が、TwitterTwitterとして使うのをやめて、こうして書いているブログやYouTubeやVRChatに潜んでいるのも、そういった気分によるものではあります。

 

しかしながら、最近、やはり「現代インターネットは暗黒森林状態ではないのではないか?」という考えになってきたので、その事について書いていきます。

 

・インターネットと排除

先述のように、確かに現代インターネット空間には、暗黒森林状態にある宇宙空間と類似する部分も多く存在しています。

しかしながら、三体作中における暗黒森林理論でのキモは、狩人が蔓延る広大な宇宙において、目立つ動きを見せた星系が一撃必殺の破壊攻撃を受けて排除される、という部分にあると思います。

けれどもこの暗黒森林理論をインターネットに当てはめた時に思うのが、「そう簡単に人をインターネット空間から排除出来るのか?(それも、一撃必殺のような形で)」という事です。

例えば、Twitter等でプラットフォームのルールを攻撃的に用いて凍結やBANの状態に個人を陥らせたとしても、多くの場合、アカウントを一つ潰しただけで、その人間自体をインターネット空間から排除した事にはなりません。

 

(ぼく自身、とある差別主義的インターネットアカウント(ぼくは、「普通の人間は差別的(普通の人間は差別的ではあるけれど、別段、差別「主義」を持っているわけではない)」という認識を持っているので、普通は「差別主義」という言葉をあまり使いませんが、この場合は明確に差別「主義」的なアカウントです)の差別発言を報告した数日後に、そのアカウントが凍結されていた、という事もありますが、そのアカウントは今も元気に活動をしています)

 

インターネット(あるいは社会)と「排除」については、ぼく自身、ここ最近考えているテーマの一つでもあり、例えば、所謂リベラル的な言論をする方が、カール・ポパーの「寛容のパラドックス」を引用して、差別的な発言をする発言者を「排除」しようとするような場面をしばしば見かけますが、それについて、いかがなものかな……と考えたりしています。

いや、だって、インターネット(あるいは社会)から人の事を「排除」なんて簡単に出来るわけないじゃないですか。

それどころか、どんな思想信条や嘘幻でも現実的なものとして受け入れられる、Twitterというファンタジー空間においては、そうした「排除」されうる人間同士が簡単に繋がりあって、エコーチェンバー的代替現実を共有する集団が形成される、なんて事がいくらでも起きるわけじゃないですか、ということです。

 

・インターネット塹壕

トマス・ホッブズは、主著「リヴァイアサン」において、国家の強い抑圧が無い自然状態の人間同士の関係を、「万人の万人に対する戦い」と称しました。

少し前、ルドガー・ブレグマンの「Humankind 希望の歴史」という本を読んだのですが、この本は、そのようなホッブズ的な性悪説的人間観に対して反証していく内容で(とはいえ、ぼくは読んだ上で尚、「『人之性悪』でしょ……」と思ったのですが)、その本のシメの部分で、社会分断やインターネットによる争いの事が「塹壕戦」に例えられており、読者に対して、第一次世界大戦時1914年時の所謂クリスマス休戦のように塹壕から出る事を推奨しています。

この本の中で、人間は家畜的形質を持った「ホモ・パピー(子犬)」と呼ばれています。同じように人間の自己家畜化仮説にまつわる本で言えば、類人猿学者リチャード・ランガム「善と悪のパラドックス」や、リチャード・ランガムの弟子にあたるブライアン・ヘア「ヒトは〈家畜化〉して進化した」なども読みましたが、それらの本が論じる内容である程度共通している部分は、「人間は共感性が高く従順な気質を持ち、集団性を求め、身内と認識している相手に対しては優しく振る舞うが、その反面、他者や異端とみなした相手に対してはその性質が暴力性に変わる」という主張です。

 

話を少し戻してインターネットで日々巻き起こる争いに目を向けると、その争いは、個人戦というよりも、自分自身の「属性」と、敵対勢力の「属性」の間で行われる、団体戦のような闘争が主体のように感じられます。クラスタによるクラスタに対する戦いです。

 

同じようなクラスタ(俺たち)と、敵対クラスタ(あの人達)の間抜けな行為を遠くから攻撃したり、馬鹿にし合ったりするやり取りが断続的に繰り返され、たまに、敵対勢力の炎上や凍結でダメージを与えたり受けたりするような争い。

この形式って、個々が個々を狩人のように一撃必殺でひし狙う「暗黒森林」状態じゃなくて、先述した形式のような「塹壕戦」ですよね、という事です。

 

ぼく自身がTwitterにウンザリとしているのも、いわばまさにそのような塹壕戦的空間が広がっている事が大きな要因としてあります。

いっそ、暗黒森林のように一撃必殺で人間が排除されうる殺伐としたインターネットの方が、まだ幾分マシだっただろうか、とさえ思います。

 

(例えば、今がブログやミクシィ全盛期~Twitter黎明期かつ匿名インターネットが元気だった00年代後半辺りのような状況だとしたら話は別かもしれません(未成年飲酒や飲酒運転等々についての記載一つで、個人情報がwikiなどで大々的に公開されたり、凸などされて社会的ダメージが与えられる場合など)。この形式での「暗黒森林攻撃」については、今も行われているでしょうが)

 

・ついでの広告のようになってしまいましたが、最近曲を作りました、という事が言いたくて当初この記事を書き始めました。

 

最近、TokyoMorbidEdge(ぼくが参加しているバンド)で、「DARK FOREST ATTACK(黑暗森林攻擊)」という曲を作りました。

 

www.youtube.com

 

 

 

 

タイトルの通り、中国作家劉慈欣氏によるSF小説「三体」のファンソングであり、「暗黒森林理論」をテーマにした曲です。

(少し前に再始動してからのTokyoMorbidEdgeの曲は、最初にテーマというか構想ありきで、そこからジャケット絵を描いて、そこから曲を作るという流れになっています。

この曲も、曲のイメージをドゥーム寄りのブラックメタルのようなイメージでジャケット絵を描き、曲も、そのようなイメージで作りました)

 

bandcampにもアップしています。

tokyotoxicrecords.bandcamp.com

 

 

(おわり)

 

 

【観た映画】出崎統かんとく版「AIR」。「ヘンな映画だったけど、好きだなっ……」と思う

ぼくの誕生日は、AIR観鈴ちんの命日(8/14)です。

なので毎年、自分の誕生日には「今日は、AIR観鈴ちんの命日です」とツイートするようにしています。

https://twitter.com/search?q=%40tomoe_kixx%20%E8%A6%B3%E9%88%B4%E3%80%80%E5%91%BD%E6%97%A5&src=typed_query&f=live

 

ぼくがAIRを初めてプレイしたのは、高校一年生の頃。

プレイしたのは、PS2版の廉価盤でした。

何も考えずにプレイしていたらバッドエンドになったので、その後は攻略サイトを見ながらプレイをしました。

初見プレイ時は、正直、

「えっ……主人公がカラスになったけど……」

「戻らないの……?!」

観鈴ちん……えっ……このまま……?!」

と、困惑の方が多かった事を覚えています。

それと、とても悲しくて、AIRをプレイして悲しい気持ちになっているという旨の長文メールを友人に携帯でポチポチ送ったりしました。

初見時には、「ただの悲劇」としか思えませんでしたが、その後、改めてプレイし直したり、京都アニメーション版TVアニメを観たりする中で、あ~~、AIR、そういう事ね……などと、作品への理解と没入を深めていきました。

(高校二年時の自分の誕生日前日の夜中からAIR編をプレイし始め、丁度(?)暁方に外が土砂降りになったりしながら、朝方にプレイし終える、という事などもしていました)

 

そもそものAIRに触れるようになったきっかけは、当時テキストエロゲーム全盛期だったインターネットという場において、「AIRは、とりあえず必修でしょ」、というような雰囲気と、ちょうどその頃放送していた京都アニメーションAIRの評判が良いらしい、という事で盛り上がっているのを感じていた、という、いわばまさに、ミーハー的な動機だったのですが、当時(今も?)、「京都アニメーションAIR」のアゲに使われる形で、原作ファンから徹底的にサゲされていた映画作品がありました。

 

それが、東映アニメーション制作、出崎統監督作品「劇場版AIR」です。

 

いわばまさに、ミーハー的だったぼくは、原作ファンからのその悪評を真に受け、ハナっから見ようともしないまま、その後15年あまりを過ごしていました。

しかしながら15年あまり経ち、ぼく自身の嗜好としても思想としても、「原作付きアニメは原作に忠実に作れ」という思想に対して「否ッ!!(なんだぁ~~~?!)」の色が強くなっている中、dアニメストア新着に「劇場版AIR」が追加されているのを見かけて、観ようと思った次第です。

 

 

夢の中では一ヶ月前に観ていましたが、結局中々ふんぎりがつかず、今日、「よし観るぞっ」と思って観ました。

 

その感想として、「ヘンな映画だったけど、ぼくは、好きだなっ……」と、思いました。

 

作品を鑑賞して最初の、そして決定的な衝撃が、神尾観鈴ちゃん(この作品内での神尾観鈴さんの事は、「観鈴ちゃん」と呼びたいです)のVAを担当する川上とも子さんの演技の第一声を聞いた時でした。

ゲーム版や京都アニメーション版での、幼いような、ヌケたような雰囲気の、「作った」声ではなく、川上とも子さん本人の地声に近い演技。

作品そのものとは関係のない部分の連想も含むので良くないのですが、「この声のこの子が、これから……」という思いが胸に込み上げ、そこで、少し涙が出そうになりました。

 

川上とも子さんの演技のディレクションも含め、映像面での演技・演出においても、劇場版AIRでの神尾観鈴ちゃんは、原作や、「原作を上手に映像化した」京都アニメーション版アニメとは、別人と言っても良い存在になっていました。

原作/京都アニメーション版よりも2-3歳は上の年齢のように感じられ、時にドキリとした仕草を見せたり、確かに変な子ではあっても、所謂「Keyヒロイン」的な変さではなく、地に足がついた。「変わった子」といった印象の女の子。

原作とはかけ離れた、そんな劇場版AIR神尾観鈴ちゃんの事が、ぼくは好きだと、そう思いました。

(そう思ったので、一度観終わった後で、再度、観鈴ちゃんの登場するシーンを抜粋して観たりしていました)

そんな神尾観鈴ちゃんと出会い、原作の流れなどはお構いなしに、自転車でのフィールドワーク活動をしながら、過去のエピソード(Summer編)を辿っていくという流れについては、純粋に良かったです。

夏の日の数日間。

今まで友達も居なかった観鈴ちゃんが、たまたま出会ったヘンな男と自転車で色々な場所へ行って、楽しくて、運命を感じて、ドキドキして、と、そんな楽しい思い出を追体験するような心地と、こんな楽しくて、だけど、観鈴ちゃんが、身体が何か、おかしいんだが……?という、不穏な様子が、たまに、映像……出崎かんとくの個性が強くないか……?!と思ったりしながら、オリジナル色の強い展開を楽しんでいました。

 

そして、シリアス展開が続く後半。

「往人さん……カラスにならないの?!」

という驚きや、「往人さん、何……?!」「祭、こんな盛り上がるの……?!」や、「往人さんが居るまま、原作のその流れに行くの……?!」という驚きがありつつ、渾身の、原作一番の盛り上がり所で出崎演出が思い切り入る部分で、面白さの方が勝っているように感じたり、これで終わり……?!となったり、まぁまぁ、原作ファンも怒ったり呆れたりするだろうな、という事も確かに感じました。

というか、なんか、全体的にヘンな部分が多かったですし、ぼく自身、実際半笑いのような表情で観ていたシーンも多かったです。

 

 

けれどもやっぱり映画を通して観た後に感じたのが、「好きだったし、楽しかったな」という思いです。

神尾観鈴ちゃんと、熱射の下で自転車を二人乗りして、フィールドワークをして回った架空の思い出がぼくの中に刻まれて、その思い出が、もう、二度と戻らないかけがえのないものだったんだと、後になって実感するような、そんな心地です。そんな心地がして、じんわりと寂しい、というカンジ。

 

そんなように、原作や京都アニメーション版アニメとは、違う意味で心動かされる作品で、「ヘンな映画だったけど、好きだなっ……」と思った話でした。

 

(おわり)

 

AIRと関係ないA.I.R.の話

大学の時。

バンドメンバー(彼は楽器・音楽全般初心者だったけれど、ぼくと一緒にメタルバンドを組んでいた)に、「アンスラックスA.I.R.という曲は、アンスラックスのメンバーが、日本のAIRというゲームに感動した事がきっかけで作られた曲」という嘘を、別のバンドメンバーと一緒に吹き込んでいた事がありました。

その後、アンスラックスの来日公演があり、その公演直前、どこかの店でアンスラックスのメンバーと偶然一緒になる機会があったバンドメンバー君が、アンスラックスのメンバーに「A.I.R.(曲)の元ネタは日本のAIRってゲームなんですか」と質問をしてしまった、という、嘘実話のような話があります。

 

(おわり)

私的インターネットルール(2023年5月29日更新版)

Twitter

・通常投稿の禁止

・「他人の意見RT」の禁止

・「Twitter外の活動をTwitterに投稿する」活動のみ許可(画像・イラスト・動画投稿・ブログ投稿等)

・自分がみた夢についてのツイートのみ例外的に許可

 

5ch

・各種「更新コマンド」は一日一回のみに制限

 

VRChat

・夜は静かにする

・「一週間に一曲、自作曲動画を作ってインターネットにアップする」行為をしなければログインが禁止される

【読んだ本メモ】貝塚茂樹「中国の神話 神々の誕生」

・1971年発刊の書籍(原著は1963年)の再刊本だという事を、読み始めてから知る。

・一つ目一本足猿面の山神「夔」にまつわる論を一つの切り口にしつつ、歴史時代以前の神話世界を再構成しようと試みられた本で、読む前に予想していた内容とは大きく違う読書感だった。

・著者の語り口については、「へぇ~」と思うものの、「本当~?」と思う部分も多かった。

・また、解説の部分で「批判する人もいるのではなかろうか」と触れられてもいたけれど、柳田/折口民俗学の研究を切り口に中国神話の世界を考察していくという手法は、どうなんだ……?とも感じた。

・一つ目一本足の神/怪物、という「一つ目小僧」から「岩永琴子」まで、日本においてキャラクターとしてメジャーになっている存在が、古代中国神話のいて大きな役割を持っていたという事は知らなかったので、面白いなと感じた。

・50年以上前の本という事もあり、「書かれた当時の、今と違う時代の空気感」のようなものが感じられて良かった。

 

【読んだ本】張競「中華料理の文化史」

暴太郎戦隊ドンブラザーズFLT名古屋公演の終演後。

アスナル金山の中華料理店で麻婆豆腐を食べている時に、ふと、

「欧州史を中心とした香辛料の歴史は色々な本で読んだけれど、そういえば、中国史において香辛料がどう使われていたかの歴史を全然知らないぞ……!」

と思ったので、読みました。

 

 

タイトルの通り中華料理の文化史についての本で、様々な文献や図像資料から、「中華料理」といったものが様々な時代を経て、どのような変遷を辿ってきたかについて記された本で、とても面白かったです。

著者の張氏が、文革時代も体験した中国出身の方という事もあり、そんな著者自身が生きてきた一昔前の現代中国社会の様子や、著者から見た日本文化に対する視点といった部分にも面白さがありました。

 

元々自分が知りたかった香辛料については勿論の事、小麦の粉食文化や羊肉料理、犬食文化の忌避等々、他地域との交易や遊牧民族との混交といった外部要因によって、「中華」における食文化は大きく変遷してきたんだなぁ、という事が分かりました。

現代中国では箸を縦向きに置くが、唐代当時は中国でも箸は横向きに置いており、その時代に箸文化が輸入された日本では現代でも箸を横向きに使っている、だとか、宋代辺りの中国料理は、所謂「和食」的なものに近いものだったりといった部分なんかは、「へぇ~~っ」と思いました。

 

全体としてのそれぞれの項目の記述は簡略なものが多く、また、例えばアメリカ大陸原産のジャガイモやトウモロコシといったものが中国の人口動態に及ぼした影響、といった面での語られ方については少なかったです。

 

同著者の「恋の中国文明史」という本も面白そうなので、読んでみたいと思いました(とはいえ、買ったまま積んでいる本が多いので、先にそちらを読みたいです)。

 

 

自作曲の解説と関連書籍:「KIGAnon」

ぼくは、

「自分が作ったものに対して、作者が自分で解説をする行為は、ナシなのではないか」

という価値観を持っていました。

この価値観が自分の中で強まったきっかけは、2013年頃、ぼくが当時観ていたテレビアニメ、ドキドキプリキュアプリティーリズムレインボーライブという二作品において、それぞれシリーズ構成と監督がTwitter上で色々な設定だったり、解説だったりをしているのが嫌だった、という事なのですが、思い返してみると、自分が嫌だったのは「解説」の部分ではなくて、「Twitter上で」の部分だったな、とも思うので、こうして、ブログという形式であれば、まあ、良いか、という思いもあり、また、2020年代、インターネットで何か表現活動をする上で、説明をしてしすぎる事は無いのではないかという考えにもなってきたので、自分で作ったものに対して、自分自身で解説をします。

 

・「KIGAnon」

最近、TOMOE KIG名義で「KIGAnon」という曲を作りました。

 

 

t.co

キグアノンというタイトルの通り、所謂Qアノン的陰謀論をテーマにした曲です。

「何らかの事情通だったり、探偵のような存在が、主にリベラル的な勢力や集団の悪事を、虚構の証拠を積み上げる事によって謎解きゲームのように暴いていく」という、インターネットで流行り続けている一大エンターテイメントに対するぼく自身の憂いが込められています。

 

ぼくは、半年ほど前からTwitterに対する気持ちの糸が完全に切れてしまって、そのきっかけというのが、直接的な言及をしてしまえば、「暇空茜みてーなやつがこんなに支持を集めて、発言力を持ってるSNSなんかやってらんねぇ」という事です。

陰謀論と扇動、といえば、本邦では10年代にも「余命三年時事日記」といった事件も起こっていましたが、それと同じような流れが、より大規模かつ「普通の人」をより巻き込む形で展開している様を見せつけられて、非常に、「てめーらマジで良い加減にしろよ」というような心地でした。

 

そんなわけで、以下が歌詞です。

 

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匿名KIG
告知真理
混沌七竅
KIGURUMI梱包

匿名KIG
白兎追跡
点星結合
星座形成

欺瞞偽善GAOマスク剥奪
不正巨悪蔓延ナニカ暗躍
義憤闘志通し繋がる同志
星と星繋ぎ輝くFACTION

欺瞞偽善GAOマスク剥奪
不正巨悪蔓延ナニカ暗躍
義憤闘志通し繋がる同志
星と星繋ぎ輝くFACTION

欺瞞偽善GAOマスク剥奪
不正巨悪蔓延ナニカ暗躍
義憤闘志通し繋がる同志
星と星繋ぎ輝くFICTION

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「混沌七竅
KIGURUMI梱包」

というのは、荘子の「混沌」のエピソードを元にしています。

「混沌」の死体をKIGURUMIに詰めるイメージです(?)

MVの中で錠剤を服用している部分は、「赤いピル」を服用している場面です(「赤いピル」というキーワードは、マトリックスが元ネタの陰謀論頻出ワードです)。ちなみに撮影に使ったこの錠剤が何かといえば、マレフェMtFです。

「白兎追跡」は、Qアノン的陰謀論のお決まりワード「白ウサギを追え」が元ネタです。

歌詞の中の「星座」だとか「星と星繋ぎ」の部分の元ネタは、山口貴由せんせいの「劇光仮面」……も元ネタですが、どちらかと言えば、タミム・アンサーリー「世界史の発明(The Invention of Yesterday)」です。どちらにせよ、人々が物語を紡ぐ事を、夜空の星と星を繋いで星座を描く事に例える事は共通しています。

 

 

人々が現実を物語として受け取る事の危険性、という意味では、少し前に読んだ「THE STORY PARADOX」も元ネタかもしれません。

 

曲の構成としては、序盤のBPM160弱のダウンピッキングリフは、「何か落ち着いた雰囲気の事情通な奴が、何か、重大な欺瞞を暴こうとしているぞ」というような気分を表現しています。

その後、ある程度のまとまりを持っていた運動が、時を経る度に徐々に加速し、暴走して破綻に至り、その後にはまた同じような語り手が……という事を描いています。

 

結局の所、この曲を通して何が言いたいかというと、「世界の混沌性を認めて、現実の物事に対して、極力、分かりやすさや物語性を見出さない」という心持ちでいきましょうよ、という事です。

 

(おわり)