なので毎年、自分の誕生日には「今日は、AIRの観鈴ちんの命日です」とツイートするようにしています。
ぼくがAIRを初めてプレイしたのは、高校一年生の頃。
プレイしたのは、PS2版の廉価盤でした。
何も考えずにプレイしていたらバッドエンドになったので、その後は攻略サイトを見ながらプレイをしました。
初見プレイ時は、正直、
「えっ……主人公がカラスになったけど……」
「戻らないの……?!」
「観鈴ちん……えっ……このまま……?!」
と、困惑の方が多かった事を覚えています。
それと、とても悲しくて、AIRをプレイして悲しい気持ちになっているという旨の長文メールを友人に携帯でポチポチ送ったりしました。
初見時には、「ただの悲劇」としか思えませんでしたが、その後、改めてプレイし直したり、京都アニメーション版TVアニメを観たりする中で、あ~~、AIR、そういう事ね……などと、作品への理解と没入を深めていきました。
(高校二年時の自分の誕生日前日の夜中からAIR編をプレイし始め、丁度(?)暁方に外が土砂降りになったりしながら、朝方にプレイし終える、という事などもしていました)
そもそものAIRに触れるようになったきっかけは、当時テキストエロゲーム全盛期だったインターネットという場において、「AIRは、とりあえず必修でしょ」、というような雰囲気と、ちょうどその頃放送していた京都アニメーション版AIRの評判が良いらしい、という事で盛り上がっているのを感じていた、という、いわばまさに、ミーハー的な動機だったのですが、当時(今も?)、「京都アニメーション版AIR」のアゲに使われる形で、原作ファンから徹底的にサゲされていた映画作品がありました。
それが、東映アニメーション制作、出崎統監督作品「劇場版AIR」です。
いわばまさに、ミーハー的だったぼくは、原作ファンからのその悪評を真に受け、ハナっから見ようともしないまま、その後15年あまりを過ごしていました。
しかしながら15年あまり経ち、ぼく自身の嗜好としても思想としても、「原作付きアニメは原作に忠実に作れ」という思想に対して「否ッ!!(なんだぁ~~~?!)」の色が強くなっている中、dアニメストア新着に「劇場版AIR」が追加されているのを見かけて、観ようと思った次第です。
今朝夢:dアニメストア新着に来た事だし、今まで(評判が悪くて)避けていた出崎統版AIRを観てみるか~~っと思い、観始める
— 巴/TOMOE KIG (@Tomoe_Kixx) 2023年4月30日
夢の中では一ヶ月前に観ていましたが、結局中々ふんぎりがつかず、今日、「よし観るぞっ」と思って観ました。
その感想として、「ヘンな映画だったけど、ぼくは、好きだなっ……」と、思いました。
作品を鑑賞して最初の、そして決定的な衝撃が、神尾観鈴ちゃん(この作品内での神尾観鈴さんの事は、「観鈴ちゃん」と呼びたいです)のVAを担当する川上とも子さんの演技の第一声を聞いた時でした。
ゲーム版や京都アニメーション版での、幼いような、ヌケたような雰囲気の、「作った」声ではなく、川上とも子さん本人の地声に近い演技。
作品そのものとは関係のない部分の連想も含むので良くないのですが、「この声のこの子が、これから……」という思いが胸に込み上げ、そこで、少し涙が出そうになりました。
川上とも子さんの演技のディレクションも含め、映像面での演技・演出においても、劇場版AIRでの神尾観鈴ちゃんは、原作や、「原作を上手に映像化した」京都アニメーション版アニメとは、別人と言っても良い存在になっていました。
原作/京都アニメーション版よりも2-3歳は上の年齢のように感じられ、時にドキリとした仕草を見せたり、確かに変な子ではあっても、所謂「Keyヒロイン」的な変さではなく、地に足がついた。「変わった子」といった印象の女の子。
原作とはかけ離れた、そんな劇場版AIRの神尾観鈴ちゃんの事が、ぼくは好きだと、そう思いました。
(そう思ったので、一度観終わった後で、再度、観鈴ちゃんの登場するシーンを抜粋して観たりしていました)
そんな神尾観鈴ちゃんと出会い、原作の流れなどはお構いなしに、自転車でのフィールドワーク活動をしながら、過去のエピソード(Summer編)を辿っていくという流れについては、純粋に良かったです。
夏の日の数日間。
今まで友達も居なかった観鈴ちゃんが、たまたま出会ったヘンな男と自転車で色々な場所へ行って、楽しくて、運命を感じて、ドキドキして、と、そんな楽しい思い出を追体験するような心地と、こんな楽しくて、だけど、観鈴ちゃんが、身体が何か、おかしいんだが……?という、不穏な様子が、たまに、映像……出崎かんとくの個性が強くないか……?!と思ったりしながら、オリジナル色の強い展開を楽しんでいました。
そして、シリアス展開が続く後半。
「往人さん……カラスにならないの?!」
という驚きや、「往人さん、何……?!」「祭、こんな盛り上がるの……?!」や、「往人さんが居るまま、原作のその流れに行くの……?!」という驚きがありつつ、渾身の、原作一番の盛り上がり所で出崎演出が思い切り入る部分で、面白さの方が勝っているように感じたり、これで終わり……?!となったり、まぁまぁ、原作ファンも怒ったり呆れたりするだろうな、という事も確かに感じました。
というか、なんか、全体的にヘンな部分が多かったですし、ぼく自身、実際半笑いのような表情で観ていたシーンも多かったです。
けれどもやっぱり映画を通して観た後に感じたのが、「好きだったし、楽しかったな」という思いです。
神尾観鈴ちゃんと、熱射の下で自転車を二人乗りして、フィールドワークをして回った架空の思い出がぼくの中に刻まれて、その思い出が、もう、二度と戻らないかけがえのないものだったんだと、後になって実感するような、そんな心地です。そんな心地がして、じんわりと寂しい、というカンジ。
そんなように、原作や京都アニメーション版アニメとは、違う意味で心動かされる作品で、「ヘンな映画だったけど、好きだなっ……」と思った話でした。
(おわり)
大学の時。
バンドメンバー(彼は楽器・音楽全般初心者だったけれど、ぼくと一緒にメタルバンドを組んでいた)に、「アンスラックスのA.I.R.という曲は、アンスラックスのメンバーが、日本のAIRというゲームに感動した事がきっかけで作られた曲」という嘘を、別のバンドメンバーと一緒に吹き込んでいた事がありました。
その後、アンスラックスの来日公演があり、その公演直前、どこかの店でアンスラックスのメンバーと偶然一緒になる機会があったバンドメンバー君が、アンスラックスのメンバーに「A.I.R.(曲)の元ネタは日本のAIRってゲームなんですか」と質問をしてしまった、という、嘘実話のような話があります。
(おわり)