トモエブログ

きぐるみハードコア

現代インターネットは「暗黒森林」か?

※この記事は、三体シリーズを読んでいない人は読まない、という前提で書きます。

 

・インターネット暗黒森林理論?

 

劉慈欣氏によるSF小説「三体」作中における「暗黒森林理論(黑暗森林法则)」の概念を知った方で、日夜様々な争いが繰り広げられるインターネット空間(特にTwitter)を暗黒森林状態のように感じられた方は多い事かと思われます。

Google検索で「暗黒森林」と検索をしてみれば、海外の「インターネット暗黒森林理論」を紹介した佐々木俊尚氏のnoteが上位に出てきますし、Twitter検索をかけてみても、同じような連想を抱いている方は多く見られます。

確かに、不用意なアウトプットをして、それが少しばかり拡散でもされれば、すぐさまに観測外からの攻撃に晒されがちな現代SNS主体インターネット空間の事を、「暗黒森林」に例えるのは、ある程度妥当のように見えます。また、公のインターネット空間から離れてプライベートなインターネット空間に潜む事を、作中の低光速ブラックホール空間に潜む事に例える事も妥当な例えのように感じますし、ぼく自身が、TwitterTwitterとして使うのをやめて、こうして書いているブログやYouTubeやVRChatに潜んでいるのも、そういった気分によるものではあります。

 

しかしながら、最近、やはり「現代インターネットは暗黒森林状態ではないのではないか?」という考えになってきたので、その事について書いていきます。

 

・インターネットと排除

先述のように、確かに現代インターネット空間には、暗黒森林状態にある宇宙空間と類似する部分も多く存在しています。

しかしながら、三体作中における暗黒森林理論でのキモは、狩人が蔓延る広大な宇宙において、目立つ動きを見せた星系が一撃必殺の破壊攻撃を受けて排除される、という部分にあると思います。

けれどもこの暗黒森林理論をインターネットに当てはめた時に思うのが、「そう簡単に人をインターネット空間から排除出来るのか?(それも、一撃必殺のような形で)」という事です。

例えば、Twitter等でプラットフォームのルールを攻撃的に用いて凍結やBANの状態に個人を陥らせたとしても、多くの場合、アカウントを一つ潰しただけで、その人間自体をインターネット空間から排除した事にはなりません。

 

(ぼく自身、とある差別主義的インターネットアカウント(ぼくは、「普通の人間は差別的(普通の人間は差別的ではあるけれど、別段、差別「主義」を持っているわけではない)」という認識を持っているので、普通は「差別主義」という言葉をあまり使いませんが、この場合は明確に差別「主義」的なアカウントです)の差別発言を報告した数日後に、そのアカウントが凍結されていた、という事もありますが、そのアカウントは今も元気に活動をしています)

 

インターネット(あるいは社会)と「排除」については、ぼく自身、ここ最近考えているテーマの一つでもあり、例えば、所謂リベラル的な言論をする方が、カール・ポパーの「寛容のパラドックス」を引用して、差別的な発言をする発言者を「排除」しようとするような場面をしばしば見かけますが、それについて、いかがなものかな……と考えたりしています。

いや、だって、インターネット(あるいは社会)から人の事を「排除」なんて簡単に出来るわけないじゃないですか。

それどころか、どんな思想信条や嘘幻でも現実的なものとして受け入れられる、Twitterというファンタジー空間においては、そうした「排除」されうる人間同士が簡単に繋がりあって、エコーチェンバー的代替現実を共有する集団が形成される、なんて事がいくらでも起きるわけじゃないですか、ということです。

 

・インターネット塹壕

トマス・ホッブズは、主著「リヴァイアサン」において、国家の強い抑圧が無い自然状態の人間同士の関係を、「万人の万人に対する戦い」と称しました。

少し前、ルドガー・ブレグマンの「Humankind 希望の歴史」という本を読んだのですが、この本は、そのようなホッブズ的な性悪説的人間観に対して反証していく内容で(とはいえ、ぼくは読んだ上で尚、「『人之性悪』でしょ……」と思ったのですが)、その本のシメの部分で、社会分断やインターネットによる争いの事が「塹壕戦」に例えられており、読者に対して、第一次世界大戦時1914年時の所謂クリスマス休戦のように塹壕から出る事を推奨しています。

この本の中で、人間は家畜的形質を持った「ホモ・パピー(子犬)」と呼ばれています。同じように人間の自己家畜化仮説にまつわる本で言えば、類人猿学者リチャード・ランガム「善と悪のパラドックス」や、リチャード・ランガムの弟子にあたるブライアン・ヘア「ヒトは〈家畜化〉して進化した」なども読みましたが、それらの本が論じる内容である程度共通している部分は、「人間は共感性が高く従順な気質を持ち、集団性を求め、身内と認識している相手に対しては優しく振る舞うが、その反面、他者や異端とみなした相手に対してはその性質が暴力性に変わる」という主張です。

 

話を少し戻してインターネットで日々巻き起こる争いに目を向けると、その争いは、個人戦というよりも、自分自身の「属性」と、敵対勢力の「属性」の間で行われる、団体戦のような闘争が主体のように感じられます。クラスタによるクラスタに対する戦いです。

 

同じようなクラスタ(俺たち)と、敵対クラスタ(あの人達)の間抜けな行為を遠くから攻撃したり、馬鹿にし合ったりするやり取りが断続的に繰り返され、たまに、敵対勢力の炎上や凍結でダメージを与えたり受けたりするような争い。

この形式って、個々が個々を狩人のように一撃必殺でひし狙う「暗黒森林」状態じゃなくて、先述した形式のような「塹壕戦」ですよね、という事です。

 

ぼく自身がTwitterにウンザリとしているのも、いわばまさにそのような塹壕戦的空間が広がっている事が大きな要因としてあります。

いっそ、暗黒森林のように一撃必殺で人間が排除されうる殺伐としたインターネットの方が、まだ幾分マシだっただろうか、とさえ思います。

 

(例えば、今がブログやミクシィ全盛期~Twitter黎明期かつ匿名インターネットが元気だった00年代後半辺りのような状況だとしたら話は別かもしれません(未成年飲酒や飲酒運転等々についての記載一つで、個人情報がwikiなどで大々的に公開されたり、凸などされて社会的ダメージが与えられる場合など)。この形式での「暗黒森林攻撃」については、今も行われているでしょうが)

 

・ついでの広告のようになってしまいましたが、最近曲を作りました、という事が言いたくて当初この記事を書き始めました。

 

最近、TokyoMorbidEdge(ぼくが参加しているバンド)で、「DARK FOREST ATTACK(黑暗森林攻擊)」という曲を作りました。

 

www.youtube.com

 

 

 

 

タイトルの通り、中国作家劉慈欣氏によるSF小説「三体」のファンソングであり、「暗黒森林理論」をテーマにした曲です。

(少し前に再始動してからのTokyoMorbidEdgeの曲は、最初にテーマというか構想ありきで、そこからジャケット絵を描いて、そこから曲を作るという流れになっています。

この曲も、曲のイメージをドゥーム寄りのブラックメタルのようなイメージでジャケット絵を描き、曲も、そのようなイメージで作りました)

 

bandcampにもアップしています。

tokyotoxicrecords.bandcamp.com

 

 

(おわり)