2月13日。
仕事帰りの駅周辺。ラッピングされた一輪の花を持った人達が、ちらほらと歩いていた。
花を持っているのは若い人が多く、この辺りで、イベントか何かがあったのか知らんと思って駅構内へ入ってみると、小さなブースで、花を配るイベントが行われていた。
翌日に控えたバレンタインに合わせたイベントのようで、花を貰うため、20人ほどの人々が並んでいた。
ぼくは、数ヶ月前の仕事帰り、家に花を持って帰った時の事を思い出していた。
数カ月前のある日の帰り道。
新規開店したお店の前を通りがかると、祝い花が立てられていた。
祝い花の花は、半分ほどが抜き取られていた。
ぼくが通っている仕事先の土地には、開店祝いに飾られる祝い花の花を、道行く人々が自由に持って帰るという風習がある。最初に話を聞いたときには驚いたけれど、一応、花が早くに無くなった方が縁起が良いとの話だった。
その話を聞いていたぼくは、その祝い花の前を通り過ぎ、やっぱり引き換えした後、ひまわりの花を一輪抜き取ってから鞄の中に仕舞い、その花と一緒に帰宅した。
ぼくが花を持って帰宅した事&祝い花を取っていく風習について驚きながらも、配偶者である江衛子さんは喜んでくれたようで、プラスチックで出来た植物を飾っていた花瓶を取り出して、そのひまわりは、しばらくの間、玄関に飾られる事になった。
そんな事があり、そのうち、たまに花を持って帰ろうかな、などと思っていたけれど、特に通勤ルートだとか周辺だとかに花屋があるわけでもないので、その後で花を持ち帰った事はなかった。
そんな事を、駅構内で花を持って歩いている人達を見ながら思い出していた。
この人達も、誰かにこの花を渡すのだろうか?
乗る予定の電車を1本ほど遅らせて行列に並べば、ぼくも花を貰えるだろうと思ったし、花を持って帰った時の江衛子さんの反応も見たかったけれど、お腹が空いていたし、早く家に帰りたかったので、その場を小走りで離れて電車に乗った。
帰宅し、夕食後。
駅構内で、花を配るイベントが行われており、人々が並んでいた事。本当は、その花を貰いたかったという話を江衛子さんにした。
「結局花を貰わずに帰ってしまったけれど、その花を江衛子さんに渡したかったという気持ちは知っておいて貰いたい」
というような事を言ったら、江衛子さんからは、「その気持ちが大事だね」と、思いの外喜んで貰えた。
確かに、花を渡すという行為は気持ちを渡す行為であるので、花自体の存在は必ずしも必要が無いのかもしれない。
これは空想の花だね、と、ぼくは思った。
暴太郎戦隊ドンブラザーズの猿原さんの真似をしながら言ってみようかと思ったけれど、それはやめた。
(おわり)